光線研究所のあゆみ

昭和 2年(1927年)
財団法人光線研究所元所長黒田保次郎が光線治療室を千葉県佐原に開設し、光線治療を開始。
昭和 7年(1932年)
東京都中央区に財団法人光線研究所の前身である光線治療研究所を開設
昭和10年(1935年)
「第1回光線治療座談会」を開催。
以後、宮家(竹田宮家、東伏見宮家、賀陽宮家、閑院宮家)、政財界要人や軍部要人の光線治療を拝命する。
昭和11年(1936年)
『病気の治る光線』発刊。
昭和14年(1939年)
『病気にならぬ光線』発刊。
昭和14年(1939年)
日本陸軍および日本陸軍航空隊に可視総合光線治療が採用される。
昭和15年(1940年)
第7回光線座談会を東京會舘で開催
竹田宮家、東伏見宮家、賀陽宮家の女官を含め、346名が参加。
  • 光線治療研究所

  • 病気の治る光線

  • 病気にならぬ光線

  • 第7回光線座談会

昭和16年(1941年)
文部大臣許可のもと学術研究財団として財団法人光線研究所を設立。
初代理事長に海軍中将 安東 昌喬 が就任。 初代所長に 黒田 保次郎 が就任。
昭和24年(1949年)
機関紙『光線研究』第1号発行(現在に至る)
昭和25年(1950年)
東京都新宿区大久保に戦災で焼失した財団本部を新築し、同年8月に東京都の許可を得て附属診療所を開設。
昭和30年(1955年)
『光線治療物語』発刊。
  • 財団法人光線研究所

  • 『光線研究』第1号

  • 附属診療所

昭和32年(1957年)
カナダ、モントリオール大学実験医学研究所長ハンス・セリエ教授(ストレス学説の祖)の日本への招聘に尽力、当研究所へ来所講演。
昭和33年(1958年)
『続光線治療物語』、『原爆症の光線治療報告』を発刊。
広島において原爆症の患者の光線治療を開始。火傷に対し光線療法を実施し、期待以上の成果を得る。
昭和38年(1963年)
『ガン征服の新路線』発刊。
昭和42年(1967年)
第18回日本総合医学会にて『ガンの治療に対する光線の効果』を発表。
昭和44年(1969年)
カネミ油症患者の光線治療を開始、1年間にて良好報告を得る。
昭和49年(1974年)
『可視総合光線療法 -遺伝と光線-』発刊。
昭和52年(1977年)
光線研究所本館(鉄筋コンクリート三階建)および研究棟、事務棟竣工。
創設者 黒田保次郎逝去(92歳)。黒田保郎が理事長に就任。
  • ハンス・セリエ教授(ストレス学説の祖)の日本への招聘

  • 原爆症の光線治療報告

  • 光線研究所

昭和58年(1983年)
医学博士黒田一明が附属診療所所長に就任。
昭和61年(1986年)
全国療術師協会光線部会にて『光線療法の基礎』を講演。以後同協会における光線療法の啓蒙に尽力。
平成 3年(1991年)
財団設立50周年記念表敬事業を実施。黒田一明が理事長に就任。
平成11年(1999年)
『別冊 可視総合光線療法 理論と治験』発刊。
平成13年(2001年)
財団設立60周年記念表敬事業を実施。
平成21年(2009年)
『可視総合光線療法 治療報告と症例集』発刊。
平成23年(2011年)
財団設立70周年記念事業を実施。
平成25年(2013年)
3月21日内閣総理大臣に移行許可を受け、4月1日に一般財団法人へ移行。
平成28年(2016年)
『可視総合光線療法 実践治療報告集』発刊。
令和 3年(2021年)
財団設立80周年記念事業を実施。

光線治療研究所

病気の治る光線

病気にならぬ光線

第7回光線座談会

財団法人光線研究所

『光線研究』第1号

附属診療所

ハンス・セリエ教授(ストレス学説の祖)の日本への招聘

原爆症の光線治療報告

光線研究所